真偽は定かではないが、人間が最初に祈りを奉げた相手は太陽あるいは炎だったという。 真っ暗な地獄のような夜から解放し、氷のように冷え切った大地に温かさを授ける太陽を人間は神と崇め、感謝と畏怖と共に祈りを奉げた。 偏に進化とは、神々しい炎を自らの掌中に収めようとする旅のようなもので、焚き火に始まり松明、蝋燭、油燈、火薬と数々の炎を手に入れてきた。そして人間の枠から外れた神と称する上位種族、神人たちは太陽に似せたものを創り出し、世界から夜を消して真の意味で神と並ぼうとしたのだ。 しかし火災や噴火と同じように、炎は人間の手には余る代物でもある。 炎を従えようとする不遜な行為に神が怒りを覚えたのか、神人たちは大陸奥深くで眠る超常の存在、ドラゴン種族の怒りを買い、山脈を巨大な窪地に変えるほどの熾烈な戦いの末に敗れ、追いやられ、やがてそんな神に似た者がいることさえ忘れ去られた。
我が名はバスコミアナ・ヴィドニメウ。この世界で現存する唯一の、そして最後の神人種族の魔道士だ。
今は硫黄の臭いが鼻に突く、大陸と呼ぶにはあまりに小さく、島と呼ぶにはあまりに大きすぎる休火山の連なる大地で、どうしてこうなったのか、かれこれ数百年以上もの間、朝の7時から朝の7時まで延々とパン焼き窯の番をさせられている。
私もかつては神と並んだ神人だ。それがこんな有り様になっているのには、当然だが理由がある。 それにはまず、かの邪悪なる魔竜との戦いから語らねばならない。
我が故郷、現在ではバスコミアナの大鍋と呼ばれる大陸は当時、我らが眷属たる人間と醜き半獣半人の亜人種族共が、数百年もの長きに渡って争いを繰り広げていた。 亜人種族共は大陸のおよそ半分を占める深く暗き密林を根城として、踏み込む人間の兵士たちを闇夜に乗じて襲うという卑劣極まりない手段を用いて、人間の文明的で必要不可欠な開拓に抵抗を続けてきた。奴らの戦法は稚拙で野蛮で泥臭いながらも効果的で、家ひとつ分の距離を進むにも、何百人という殉死者を出すに至った。 ある時、人間の指揮官はこう言った。 「大いなる神々よ、闇に蠢く邪悪なるものを聖なる光で退けたまえ」 これは神官が魔法を行使する際に唱える詠唱だが、同時に我ら神人への縋りつきたくなるような願いでもあった。人間たちが直接言わなくてもわかる、愚かな私共を助けてくださいと祈っていたのだ。 そこで我らは月の見えない夜空でも煌々と輝く、擬似的な太陽に似た光球を作り出し、密林の真上に掲げた。 するとどうだろうか、黒く無限に広がる底なしの地獄に見えた密林が、緑色に染まる草原の如き見晴らしの良い世界へと変貌した。その光に乗じて一気に歩みを進める人間の軍勢を見て、我らも中々に良いものを作ったと自慢したくなったものだが、ここでひとつ、大いなる誤算があった。
ドラゴン種族、私がこの世に生を受けるよりも遥か昔に、すでに滅びを迎えていた哀れな生き物だ。かつて世界にまだ海に沈む前の大大陸が存在した頃、ドラゴン種族は愚かにも同族同士で殺し合い、絶滅こそ免れたものの全てに等しい数の命を失い、もはや尾ひれのついた物語のような存在と化していた。 私もドラゴンの実在には半信半疑だった。神や悪魔と同じように、誇大妄想狂の吟遊詩人が作り出した存在に過ぎないのではないかと。 まさか実在して、しかも自分の前に立ちはだかるとは思わなかった。 ドラゴンは王都よりも巨大な体で、邪悪で禍々しい何本もの首を蠢かせながら、人間たちにこう問うたのだ。 「あれ作ったの、どこの誰だよ?」 人間たちはすぐに私たちを指差した。それに関しては恨みも不満もない。正直なところ、すぐに売りやがったなこいつら、とも思わなくはないが、あんな巨大な生き物に凄まれたら親や恋人でも売ってしまっても仕方ないだろう。所詮は弱くて矮小な人間のやることだ、寛大な心で許してやろうではないか。 「お前か! 眩しくて寝れないだろうが!」 「我が名は神人バスコミアナ・ヴィ……!」 ドラゴンの力は強大だった。それぞれの首から衝撃波と炎熱の混ざり合ったよくわからない光線を吐き出して、それが地上で一点に集束したと思った時には、私たちが作った光球も、密林を根付かせていた山脈も、密林に潜んでいた亜人種族も、当然人間の軍勢も、ありとあらゆるものが地上から消え去り、地の底まで繋がるのではないかと思わせる巨大な窪地と、灰が混じった黒い雨だけが世界に残った。
戦いは惜しくも神人の敗北、生き残った私は何故か怒り狂った人間の王とその兵たちに追われてしまい、やがて大陸を離れて、その辺の猟師から拝借した小舟で外洋へと漕ぎ出した。 外洋は海竜と呼ばれる巨大な海蛇の巣窟だ。生半可な帆船や航海士では瞬く間に藻屑とされてしまう、そのため私たちの大陸では外洋航海術が発達していなかったが、ドラゴンに敗れたとはいえ私は神人だ。姿こそ人間と同じだが、奴らとは比べ物にならないほどの長い寿命を持ち、使える魔法の種類も回数も段違い。優秀な魔法使いでも片手の指で数えられる種類と回数の魔法しか使えないものだが、神人種族は両手足の指の数ほどの魔法を使えるのだ。 当然、でかいだけの海蛇などに後れを取るはずがない。 私は海面から顔を出した大蛇に向けて、水を刃のように噴き出す魔法を放った。 ちなみに現在では混同されがちだが、名前の通りに自然の法則に従って行使するのが魔法、想像力を基にして世界に現出させるのが魔術という違いがあるが、今はその話はしていない。我が武勇の話をしている。
私の強力な魔法で大海蛇の脅威こそ逃れたものの、船は木っ端微塵に破壊されてしまい、私はこの島とも大陸とも呼べぬ大地へと流されてしまったのだ。 そして……