「うわぁ、完全に赤字ですね」 積み重なった帳簿の山を見上げながら、疑問を通り越して呆れ、呆れを鍋の上げ底にして失笑、そんな感情が湧いてくる。 かつてはそれなり、相応の資金を持っていた結社だが、今では比喩でもなんでもなく、子どものお小遣い程度のお金しか残っていない。 政治的透明性、情報化社会といわれて久しい現代社会において、ある意味で主義主張や公約以上に重視されるものがそれである。本来陰で行動し表に出ない場所で暗躍する秘密結社に求められるようになったものも、また政治的透明性であった。 結果、結社が結社であるべき動きが難しくなり、本来の持ち味であった隠密性や秘匿性の維持が困難になったことで、当然のようにこうなってしまったわけだ。すなわち報酬の喪失、イコール赤字である。
「さて、我々は赤字なわけだが……」 秘密結社支部長であり上司でもある鴨居弦一郎(本名・山田太郎)が片手で運べるサイズの金庫と豚の貯金箱をテーブルに置き、静かに目を閉じて何秒か沈黙する。仮にも支部とはいえ秘密結社の長だけあって、精悍な顔立ち、背筋を伸ばして座る佇まい、背中に3本足の烏の描かれた着流しをまとった姿は、天下無双の色気と武道の達人のような雰囲気を醸し出している。 しかし、彼の持つ色気も魅力も、悲しいかな現実の前には無力でしかない。金がないのである。 「さて、我々は赤字なわけだが……」 「そのセリフ、かれこれ40回目ですよ」 瞼を閉じたまま苦々しい表情を浮かべる弦一郎の額から、つつーっと垂れる汗が一筋二筋。悲しいかな、金がないのである。 繰り返すが金がないのである。秘密結社の運営資金、残り2万1861円。それと豚さん貯金箱に入った、どんなに多く見積もっても5000円ほどであろう端金。 「先生、とにかく豚さん貯金箱を割りましょう。話は現状把握の後です」 「たしかに」 先生がテーブルの角に豚の胴体を叩きつける。粉々に砕けた陶器の身体から転がる、とっさに目で追える数の1円玉と5円玉。それと10円玉がほんのわずか。合計39円。(内訳:10円玉2枚、5円玉3枚、1円玉4枚) 「もしかして豚さん貯金箱の中身、使い込んだ?」 「まったく世の中は不思議なことばかりだな。ま、それを言うと俺たち秘密結社なんてのが不思議の塊みたいなもんだが」 「貯金箱の金、使った?」 「まったく世の中は不思議な」 「おい」 先生が畳が擦り切れるほど頭をこすりつけて土下座するまで、あと10秒。秘密結社の残金2万1900円。
そろそろ私たちの話をしておこう。私の名前は円円(つぶらまどか)、ちなみに本名。大学進学で上京したついでに秘密結社でアルバイトをしている。半年ほど働いてみてわかったことだけど、この秘密結社には金がない。そもそも秘密結社という性質上、秘密裏に活動しているわけなので収入は寄付や報酬に依るところが大きい。 そして追い打ちをかけるかの如く、この秘密結社の支部長、鴨居弦一郎という男は正義の男である。悪に手を染めるくらいなら空腹に耐える、そういう男である。 さらに秘密結社の長であることに誇りを持っているので、副業を主軸に持ってくることを潔しとしないところもある。 となると結果は必然、貧乏である。 それを解決するために、今月の家賃の支払いも危うい事務所に集まっているわけなのだけど、 「先生、やっぱり会員を増やすべきじゃないですか?」 そもそも支部の構成員が私と先生の二人というのがおかしいのだ。都心まで1時間ほどかかるとはいえ、仮にも首都圏にあるわけなので、人がいないわけではない。事実、先生の副業である鴨井流柔術道場は、近所の子どもや主婦の皆様方の平和と安全を守る護身術を学ぶ場として、かろうじて道場代と日々の食費を賄える程度には人が集まっている。 「そうだ、柔術教室の生徒さんがいるじゃないですか。彼らに会員になってもらうとか」 「円円ちゃんねえ、皆さんは護身術を学びに来ているわけであって、そこでいきなり、実は俺は天皇陛下を裏から守護する秘密結社の支部長です、会員になりませんか、なんて言ったらどう思う?」 「まあ、頭の病院を進めますよね」 先生は私のことを苗字の円(つぶら)でも名前の円(まどか)でもなく、あだ名として円円(えんえん)と呼ぶ。ちなみに百人いたら百人がこう呼ぶので、別に嫌な気もしなければ浮かれることもない。 でもみんながそう呼ぶんだから、いっそ下の名前で呼んでくれても罰は当たらないと思う。 「それに結社にもルールがあって、むやみやたらと構成員を増やすのは良しとされていないんだよ」 「それですよ。結社のルールを押し付けるなら、本部は私たちにルールに則った活動ができるよう、お金を送ってくるべきです」 「お、おん……ふつ……」 先生が小声で、ぼそりと呟く。 「音信不通だ。先週、本部まで足を運んだらもぬけの殻だった」 どうやら逃げたらしい。秘密結社が秘密裏に夜逃げする時代、世知辛いにも程がある。
「わかりました。では、こうしましょう。結社とは別に団体を作って、そこから金を引っ張りましょう」 私の考えた作戦はこうである。表向きは平和で善良そうなボランティア団体を立ち上げて、活動費として毎月いくばくかのお金を頂く。その中の一部を慈善団体への寄付と称して、こっそり結社の運営費に回す。 領収証? もちろん偽造するに決まってるじゃないか。 「円円ちゃん、そういうのはダメだ。未成年の内から人の道を外れるような行い、大人として見過ごすわけにはいかない」 「くっ、この真面目中年め。でしたら、倉庫にある祭祀道具の中から不要なものを売りましょう」
ならばと考えた次の作戦はこれである。手段としては古臭い手だが、例えば大学や専門学校のキャンパス内に、アルバイトの露出多めの胸がやたらとでかい女を送り込み、地味でモテなさそうな男子に声をかける。女子率多めのサクラ満載のライングループに誘いこんで仲良くし続け、相手が好意を抱いたくらいのタイミングで高額で売りつける。うちとしても余計な在庫を処分できるので一石二鳥だ。 「円円ちゃん、それはカルト宗教の手口だからダメだ。秘密結社のイメージが悪くなる」 「たしかに。では、ネットワーク会員を増やすのはどうでしょう」
手口はこうだ。まずSNSを使って、陰謀論的な言説を唱える。人工地震であるとかワクチンは危険だとか不正選挙が行われているとか世界を牛耳る資本家集団がいるとか、とにかくネットリテラシーが一定レベル以下の人たちが反応するようなテーマを放り投げる。 さらに、あまり馴染みのない外国人が喋ってるニュース映像に適当な字幕をつけたり、でたらめな論文をでっちあげたりして、わざわざ翻訳しない層にヒットする情報ソースを集めたニュースサイトを作る。 デマ情報が口コミ的に独り歩きしたくらいで、特に熱中してる人たちにSNSのダイレクトメールでコンタクトを取り、真実に気づいたあなたにこそ教えられる商品として、セメントを詰めただけの缶や水道水や家畜用の虫下しの薬なんかを、アメリカで流行ってる特効薬として売りつける。 「円円ちゃん、一度ご両親を交えて道徳についてお話しようか」 「それはちょっと。こんな怪しいバイト、今すぐやめなさいって言われそうだし」 「それは困る」
一応説明しておくと、私が秘密結社に雇われた理由は、簡潔にいえば事務員である。数年前まで前任のメカに比較的強い人がいたけど、出世して別の支部を立ち上げることになり、残されたのは致命的に機械に弱い男、鴨居弦一郎ただひとり。 この先生、未だにスマホの使い方もよくわからないし、この半年でようやくパソコンを起動して文字を打てるようになったレベルの現代文明初心者。にっちもさっちもいかなくなったところを、たまたま求人を見かけた私が事務所の扉を叩き、事務員兼経理兼SNS担当兼動画編集担当として、そこそこ普通の金額で働いている、というわけだ。
「そうだ、先生、それですよ。SNSでバズりましょう」 「バズ……? バズーカか何かか?」 ポンコツ中年はさておいて、昨今SNSで急にバズってグッズ販売や書籍販売に繋げるという手法は、当たり前のように私たちの生活を侵食してきてるし、瞬間風速的にでも注目を集めるのはゴミだけど正義である。 即座にお金に繋がることもあれば、別になんにも繋がらない場合もあるし、それはバズらせ側の目的次第な部分ではあるけど、とにかくこの状況を打破するのに注目を集めるというのは悪くない。 「しかしだな、俺たちは秘密結社だぞ。秘密結社が目立っていいのだろうか」 「表向きにアホみたいな楽しく遊んでるグループを作って、そこで先生の良心が咎めない程度にグッズ展開とかして、流行りのものに条件反射で飛びつくタイプのベンチャー志向っぽいアホから金を引っ張って、それで得た収益の一部を運営費に回す、くらいしか現状打つ手なしですよ」 「円円ちゃん、言葉の節々に悪意が見え隠れしてるぞ」 もちろん私だって、そんなことはしたくない。できれば平穏に静かに暮らしたいし、SNSも陰キャ向けのツブヤイターはやっても、おしゃれ特化のイソスタとか短時間アホ動画系のディックドックとかには染まりたくない。 まだ世の中の大半が気付いていない先生の良さを、わざわざ世間に見せつけるようなことも気が乗るわけじゃない。 しかし何もせずに静観するターンはすでに終わっている。秘密結社が潰れたら困るのだ。 「先生が道場拡大して、週6で働いてくれるなら話は別ですけどね」 「ぐ、ぐぬぬぬぅぅ……」 先生からネジを限界以上に締めるような音がしてるけど、今はそれは然したる問題ではない。問題は金欠のほうだ。
「というわけで、ダミー団体としてのポップな秘密結社を考えましょう」 SNSでバズれそうなグループを作ることにしたわけだけど、秘密結社は秘密結社という響きからして魅力がある。想像力を掻き立てるし、大っぴらに秘密にされると探りたくもなる。そこを活かさないわけにはいかない。 「しかしだな、俺たちはすでに秘密結社だぞ。秘密結社が運営費を稼ぐために秘密結社を作るってどうなんだ?」 「先生はしかしが多いですね。万札もそれくらい多かったら苦労しないんですけどね」 煮しめた結びこぶのように部屋の隅っこで暗い顔をする先生はさておいて、私たちの所属する秘密結社は、いかんせん現代社会に対する取っ掛かりが弱いとは常々思っていた。 まず名前の由来でもありトレードマークでもある3本足の烏、これが現代ではピンとこない。もっとポップな生き物であるべきだ。 「秘密結社カッパ養殖場」 「なんだって?」