リンゴンと鳴るチャイムの音で目が覚めた。 昼休憩ってなんでこんな一瞬で溶けちゃうんだろう。授業だとあんなに長いのに。 ふわぁと大きな欠伸をしながら周りを見回すと、なんかあんまり人がいない。いないっていうか、バタバタと教室の外に出て行ったりしてる。 次の授業なんだっけ? 移動教室だっけ? 黒板を見ると、5限化学室って書いてある。 化学か。なんか燃やしたり爆発させたりするから結構好きなんだけど、ものすごく眠いから楽しさより眠いが勝っちゃう。

「ま、いいや。眠いし」

再度ふあーと欠伸をしながら頭を机まで垂らして、左腕を枕代わりにして、もう1回寝ようとしていると、 「ねえ、進路希望書いた?」 なんか廊下から、今あんまり聞きたくない単語が聞こえてきた。 「まだ! 書いた?」 「私もまだー」 「てきとーでいいんじゃね?」 「いや、三者面談で使うらしいから、ちゃんと書けよ」 進路希望? やべっ、私もまだ書いてないわ。 でも今は眠いのが勝つのだ。未来のことより今は眠いのが問題なのだ。

「山野井! 起きろ!」 「ふえあぁっ!」 先生の大きめの声で目が覚めた。あんまり大きい声だから、肩がびくってなったし、なんか変な声も出た。まわりもクスクス笑ってるし。 くそー、めっちゃ恥かいたじゃん。耳まで赤くして背中を丸めてたら、先生がこっちをガン見してくる。 「進路希望、まだ提出していない者も若干名いるが、今週中にだからなー。早く出すように」 「へぇーい」 先生めっちゃガン見してくる。もしかして私以外みんな出してんの? マジで? 優秀過ぎじゃね? 「山野井! お前は絶対忘れるから、なるはやで出すように!」 「狙い撃ちやめろ! 忘れないですー!」 忘れる自信しかない。そもそも1文字も書いてないし。 白紙で出すって駄目なのかな? 選挙も「行かないよりは白票でもいいから投票しろ」って政経の先生が言ってたし。でも白紙って絶対怒られるよな。てきとーでも怒るでしょー。あれ? これ詰んでね? ぐるんと首を横に振って、隣の席の子に視線を向ける。一瞬なにって驚いた表情をしたけど、すぐに私はもう出したよって顔をして、私以外みんな出してることを空気で伝えてくる。 おおう、みんなちゃんと出してんのかい。 がばっと先生の方を向き直ると、冷ややかな呆れたかのような目で、あとはお前だと訴えかけてくる。 出しますよ、出せばいいんでしょ。いや、私だって出すつもりはあるよ。書くことがないだけで。 「じゃあ、ご時勢もご時勢だからな。寄り道せずにまっすぐ帰るように。あと人がいるところではマスクしろよー」 「へぇーい」 世間を何年もざわざわさせてる、異常に感染力が高くて、高熱が出て喉も痛くなって、人もまあまあ死んじゃう上に、後遺症もばっちりヘビーな新種の疫病も一向に収まる気配がなく、これといってやりたいこともない。具体的な夢もない。嘘でもいいから目標もない。すごく頭がいいわけでもない。ごめん、見え張った、勉強ぜんぜん出来ない。

ホームルームの終った教室でぼけーっとしながら、てきとーにスマホ画面を開くと、駅前にタヌキが出てきた、っていう超どうでもいい動画が、ネット廃人向けオシャレ度ゼロ系SNSツブヤイターで流れてきた。 人間界に紛れ込むなんて、のんきなタヌキめ。時代が時代なら鍋にされちゃうぞ。 「あーおーい、帰んないの?」 同じクラスで唯一仲良くしてるヒナタが、手に持った鞄をゆらゆらさせながら顔を覗き込んでくる。 私はスマホを鞄にしまって、タヌキ並みにのんきな提案をしてみた。 「今からタヌキ探しにいこーよ」 「お、おっけー?」 「じゃあ、着替えて駅前集合ね!」

私たちの住んでる町は、都会の人からは鼻で笑われるような人口だけど、いちおう県庁所在地で、地方都市の中では、まあまあ人が多いとこだと思う。たまに毛が長くて足の長い金持ちが飼ってそうな犬も散歩してるし、高そうなでっかい車も走ってる。都会といえばーな雰囲気の激安の御殿と称されるお店もある。 でもツブヤイターで定期的に話題になるデートに向いてるのか向いてないのかわかんないファミレスはない。JRはあるけど新幹線はない。野良猫はそこそこいるけど、タヌキが出るほど田舎感もない。 なんていうか全体的に中途半端、そんな具合のところ。 そんな中途半端な町の、ザ・中途半端な住宅地を、地獄車と筆文字でぶっとく書かれた勝負Tシャツに着替えた私と、今からオシャなカフェにフラペチーノでも飲みに行くんですかって感じのガーリーコーデのヒナタの、パッと見まじで意味不明なコンビで並んで歩いてる。 住宅地だけど普通に廃墟とかあるし、カラス避けみたいな目玉ぐるぐるの風船を持って歩きまわるよくわかんない宗教の建物もあるし、公園で一番見かけるタイプの人は素手で木をばしばし殴ってる。 でも女子高生が昼間に歩いても危なくない。 治安がいいのか悪いのかよくわかんないところ。

「にゃーん」 塀の上を猫が歩いている。この辺りの猫は2種類いて、触ろうとしても全然触らせてくれないノーマルネコチャンと、異常に人なつこくて触り放題なSSRネコチャン。今いた猫はノーマルネコチャンなので、にゃーんって話しかけたら、なんだこいつみたいな顔をしてくる。 ちなみにここ今月の戦績は10勝86敗3分けくらい。ちなみに3分けは鼻先をちょっとだけ触れたけど、すぐ逃げられた時の。 「ネコチャン触れなかった!」 「いいけど、タヌキ探すんじゃなかったの?」 「そうだった! おーい、ポンコー、ポンコポンコー」 ポンコって呼んだらタヌキが出てくるのか知らないけど、とりあえずポンコ(仮名)とする。わかんないよ、タヌキ博士じゃないし。タヌキ博士って職業があるのかも知らんし。 家と家の隙間とか、コンビニの倉庫の下とか、電信柱の陰とか、なんかタヌキがいそうだなって場所を重点的に狙い、姿勢は膝を屈めてなるべく低く、近づくときはゆっくり、離れる時はしゅばばばばって感じで。 いや、完全に見た目はただの怪しい奴なんだけど。

「今さら聞くのもアレだけど、なんでタヌキ?」 「駅前に出たんだって」 「そうじゃくて、そんなにタヌキ好きだった?」 「んにゃ。ふつーだけど」 そういえば別にタヌキ好きじゃないな。嫌いじゃないけど、好きになるほど身近な生き物でもないよね。ババアを汁にしちゃうイメージあるし。でも動物園にいたら10分くらいは見ちゃう。そんな微妙な距離感の生き物だと思う。 「そんなことより、普通に歩いてたら警戒されるから、ヒナタも探索モードになって」 「はいはい」 ヒナタも一緒に身を低くして、怪しい奴2号としてタヌキ探しモードになってくれる。膝を落して、さささささーって素早く動いて、しかも足音をあんまり立てない。なんか私よりも上手い。ずるい。 私も負けじと膝と腰をさらに落とすと、体の真ん中の方からぐぎりって音が聞こえた。 「ヒナタ隊長、ヒナタ隊長! エマージェンシー!」 「誰が隊長よ。で、どうしたの、あおい隊員」 「なんか腰が痛い! 動けない!」 ヒナタは呆れた顔で、地面スレスレまで膝を落して両手を前に突き出した変な体勢でいる私を見下ろし、やれやれって身ぶり手ぶりで、私の右膝を外側からぐいっと足で押した。 「ちょっと! まじデンジャー! まじデンジャラス!」 両手をバタバタさせる私を観察しながら、けらけらと笑うヒナタ。 そのヒナタの背後を、ぬぅーっと1匹の、茶色いずんぐりしたミニアニマルが通り過ぎて行ったのが見えた。 「あ、ポンチクリン発見!」