共食文樹という小説家は愛のわからない男だったという。 幼い頃から30を過ぎても一度として他人に恋心を抱いたことがなく、そもそも興味すら致命的なレベルで持たず、試しに排泄的な性行為を何度も繰り返したりしたが、精神にぽっかりと空いた空虚な穴が塞がることはなかった。 愛だの恋だの寂しさだの喜びだのを記していれば、いつしか自分にもそんな感情が湧くだろうと思っていたが、30歳を過ぎてもそんな兆しはなく、やがて全てを諦めて、縁も所縁もない田舎に買った無駄に広い敷地の中に、無駄に幾つも建物があって、おまけにそれぞれの建物がモーテルのような独立した部屋を持つ、持て余す以外の未来が見えない建物を建てた。総数で100を優に超える部屋の中には、ただ珈琲を飲むためだけの部屋や外を眺めるだけの部屋もあり、どこまでも満たされることのない男の精神をそのまま形にしたようなものだった。 「無駄遣いにも程があるだろ、馬鹿のやることだぞ」 珈琲を飲むためだけの部屋で実弟の達磨塚吉嗣に冷めた珈琲のように見下げられるものの、そうでもしなければ頭がおかしくなってしまいそうだったのだから仕方ない。 それに目の前で呆れかえっている実弟も、れっきとしたサイコパスで生まれてから今日まで他人に対する共感能力が著しく欠如しており、大量の映画やトーク番組やドキュメンタリーを見ることで、登場人物の振る舞いや受け答えを真似することを学んだが、根の部分は冷たく空虚な持たざる者である。穴を埋める手段は違えど同じ穴の狢なのだ。
「それでだ、俺は思いついたんだが」 「いや、あんたは小説書く以外ろくなことしないんだから、小説だけ書いてろ。小説書いてる限り、一生金にだけは困らないから」 「もう書かなくても困らないんだよ。それでだ、俺は他人に一切関心を持てないが、同じ血を引いてる相手なら持てるんじゃないかと考えてだな。子どもを作ろうと思うんだ」 「家族にも一切興味ないのに、なにをどうしたらそういう発想に至るんだ?」 「親兄弟と子どもだと、遺伝のメカニズムが違うだろ。先輩作家がなんかそんな話書いてたぞ、クソみてえに売れなかったし、クソつまんなかったが」 「おおよそベストセラー作家が繰り出す感想じゃないな。どこで小説書いてんだよ? 手の甲に脳みそでも埋まってんのか?」
実弟から手痛い言葉を投げかけられたが、その小説家は昔からこうと決めたら絶対に曲げない頑固さを持つ男であった。小説家になるから就職などしないと決めたら一切の就職活動をせず、担当編集者になにを言われても話の内容は変えず、今日は話を書くと決めたらどんな予定があっても直前で断るような、そういう男であった。 そんな頑固者である男がやめろと言われてやめるはずもなく、小説家は言うまでもなく、金目当てで付き合っているだけの女にも愛はなかったが、子どもがいれば遺産の相続権が得られるという打算もあって、排泄的な性行為を繰り返した結果、女はひとりの娘を身籠った。
そして小説家が計画を思い立った約1年後、1999年7月、小説家の娘が生まれた。
「というわけで娘が生まれた」 「どういうわけか知らないが、俺はやめろって言ったぞ。知らないからな、育てるのがめんどくさくなったとか言っても、俺は絶対に手伝わんからな」 「その辺は大丈夫だ。正直、もう視界に入れるのにも飽きてるが、金はあるから医者とベビーシッターなら雇ってある」 「そうかよ。で、愛とか関心とかそういうもんは持てたのか?」 「ないな。言葉が通じない分、雇った医者やシッター以上に興味が湧かない」 「へー、すごいな。1回死ねよ」
再び実弟から手痛い言葉を投げかけられたが、小説家には金だけはあった。 子供の世話は1日3交代制で雇ったベビーシッターと医者たちに任せて、しかも泣き声が煩わしいからと100メートルは離れた別棟の建物に閉じ込めていたのだが、彼らは小説家や産みの母親と違って真っ当な人間であったので、娘はそれなりに過保護に手厚く育てられた。 しかしその真っ当さが、親娘を余計に引き離してしまうこととなり、娘の持っている正体不明の伝染病のような能力に気づくことを遅らせた。 やがて2002年7月16日の嵐の日、小説家と娘の産みの親、風雨に足止めされて屋敷に泊まったシッターとハウスキーパーたち4人は、その日は天候もあって同じ建物の幾つかの部屋で各々の時間を過ごし、荒れ狂うような雨音を煩わしく思いながら、いつの間にか全員の心臓が止められてしまった。
その後、娘は遺産目当ての親戚をたらい回しにされながら不条理な死を撒き散らし、最終的には小説家の実弟に引き取られることとなる。