廃墟は嫌いだ、時間が止まってるから…… 廃墟は嫌いだ、世界に取り残されてるから…… 廃墟は嫌いだ、馬鹿と悪党ばかりが集まるから……

だけど今、そんな嫌いな廃墟の屋上で、呑気にダンボール敷いて寝転んで星空なんか見上げている。 コンクリート1枚隔てた下からは地獄の亡者みたいな、奈落の住人のような、悲鳴にも慟哭にもはたまた絶望にも似た叫びが聞こえてくるけど、下で行われてることに興味はないし、助けようとも罰そうとも思わない。私たちの仕事はここでじーっと座ったり寝転んだりして時間を潰して、24時間ここに居続けることなのだ。 そう、私たちだ。すなわち私だけではない。 私の仕事はここに居続けること。 もうひとり、どうしても仕事をご一緒したいと申し出た凶暴な【鮫】の仕事が、廃墟の外へと出たどうしようもない奴を始末すること。

鮫っていうのは、鮫と呼ばれているけど、いわゆる海で泳いで人でも魚でも手当たり次第に噛みつく、あの鮫ではない。 人間相手の殺し屋の最高峰、この世界ではそいつらが【鮫】って呼ばれてる。 もしかしたら私も鮫だと思われているのかもしれないけど、私は鮫みたいに凶暴でもなければ獰猛でもない。どちらかというとストロベリーフラペチーノを啜るような、ゆるふわ女子大生みたいな生き物なのだ。実態は女子大生でもなければ、なんだったら小学校すらまともに通ったこともないけど。なんだったらどころか、大いに難ありだ。

(……よく考えたら、あいつらよりも学歴下なんだよな)

一瞬、頭の中に屋上まで上がる途中で見えた馬鹿そうな連中の姿が浮かぶ。 下半身と拳以外は人間っぽく見せるためのおまけ、そんな連中でも義務教育くらいは終えているし、案外いいとこの大学なんかも出てたりするのだ。大学に行けるくらい恵まれた家庭に生まれたくせに悪の道に走るなんて、どうしようもない生き物だなって思うけど、そんなのは珍しくもなんともない。よくある話だ。 そして、そんな救いようのないアホが謎の死を遂げたり、謎の失踪を遂げたり、謎の変死体となって発見されるのもまた、よくある話だ。 「まあ、別にどうでもいいんだけど」 上着の袖を捲って腕時計に視線を落とす。 この廃墟に入ってから、かれこれ23時間と50分強。下の連中は飽きもせずに盛りのついた猿みたいに、拉致した得物相手に腰を振り続けたり、拳を振り回したりしてるわけだけど、そのエネルギーをもっと有意義なものに使えとは言わない。奴らにそんなチャンスは訪れないのだ、もう二度と。

「……5……4……3……2……1……ゼロ」

世界から音が消える。 実際には世界全部ではなく私を中心とした半径30メートルの世界、そこにあった音がすべて消えるのだ。足音、吐息、悲鳴、心臓の音、ありとあらゆる生命の音が消えるのだ。 つまり死ぬということだ。

自分を中心に半径30メートル以内で24時間離れず過ごしたものを自然死させる、それが私の抱えている正体不明の伝染病だ。

この病気は普通に生活するには不便で仕方ないけど、仕事となると結構便利で、ぼーっと過ごすだけで何もしなくても標的が死んでくれるのだ。手を下す必要もなく、武器を使う必要もなく、殺意を抱く必要すらなく、おまけに証拠もなにも無いのだから、そんなものが残るはずもない。 この足のつかない殺しの伝染病のおかげで、いや、殺しの伝染病のせいで私は鮫をも上回る殺し屋と噂されているらしい。 【死神ヨハネ】、これが私の名前だ。本当の名前は魚の骨と書いてギョホネっていうんだけど、呼びづらくてしょうがないのと不思議と全然覚えてもらえないという理由で、私もギョホネと呼ばれて良い気はしないから、ヨハネという名前で通している。 ちなみにギョホネなんて名前が受理されるはずもないので、戸籍上の名前は魚と書いてイオ。ちなみに苗字は共食と書いてトモハミ、名前のせいで目立たないけど苗字もそこそこに酷い。 そんな物騒な苗字に魚とか魚の骨とかつけようとするセンス、私の親は魚好きで仕方なかったのか、それとも頭が相当におかしかったのか、或いは歪んだタイプの自己主張だったのか、随分と前に殺しの伝染病が原因で死んでるから今となっては知る由もない。考えようによってはメガピラニアとかにしなかっただけ、まだ良心とか常識とかあったのかもしれない。共食メガピラニアなんてZ級映画でしか目にしない名前だ。 変な名前だなって落ち込むターンは十年以上前に通過してる。むしろ今は、ヨハネって通り名がキリスト教の聖人みたいなイタリアン髭モジャ男を想像されたり、狂信的なガリガリ頬こけ薬物中毒アメリカンと決めつけられたりして、まさか小柄な地味系女だとは誰も思わないみたいだから都合がいい。

「さて、一応確認しとくかな」