世界にはバグがあった。 すべての現象には原因があり、すべての応報は因果と結びつき、すべての死には理由があるはずだった。 しかしこの世に完璧な者などいないように世界も完璧な物ではなく、世界には自然的に発生しては消えるバグがあった。 それが突然死。どんなに気をつけていても、どれだけ健康であっても、この世に生きている限りは誰もが突然死ぬ可能性がある。もちろん可能性は低く、健康に気を遣っていれば限りなくゼロにまで近づけることも出来る。しかし言い換えれば、どれだけ気をつけていても、運命に抗おうとしても、そもそも運命など関係なしに、突然死ぬ可能性はゼロにはならない。 そのバグは不確定で自然発生的で再現性のない、もっといえば放置しておいてもさほど問題にならない程度のバグだったので、世界は特に何も手は打たなかった。人間にせよ他の生き物にせよ、そもそも世界では毎日多くの命が失われている。それが多少増えたり減ったりしたところで、世界を壊す程の影響はないのだ。
しかしある時、世界を壊しかねないバグが誕生した。
最初に気づいたのは、否、最初に被害に遭ったのはひとりの男だった。 若くして天才と呼ばれ、十代後半で大きな賞を受賞し、二十代前半で名誉ある賞を掴んだ大作家となり、三十代を待たずに累計1億部以上を売った小説家、共食文樹(トモハミフミキ)は莫大な富を得てもなお満たされない男だった。 致命的なまでに人間に興味を持てずに育ち、排泄的な性行為を何度繰り返しても他人を愛せない男は、精神に空虚な穴が開いたように自身の欠落に支配されていた。 愛だの恋だの寂しさだの喜びだのを記していれば、いつしか自分にもそんな感情が湧くだろうと思っていたが、30歳を過ぎてもそんな兆しはなく、やがて全てを諦めて、縁も所縁もない田舎に買った無駄に広い敷地の中に、無駄に幾つも建物があって、おまけにそれぞれの建物がモーテルのような独立した部屋を持つ、持て余す以外の未来が見えない建物を建てた。総数で100を優に超える部屋の中には、ただ珈琲を飲むためだけの部屋や外を眺めるだけの部屋もあり、どこまでも満たされることのない男の精神をそのまま形にしたようなものだった。 そこで男は何ひとつとして愛していない女と子供を作ったが、女も女で男の名声と財産だけを望んでいたので、子供の世話は1日3交代制で雇ったベビーシッターと医者たちに任せて、しかも泣き声が煩わしいからと100メートルは離れた別棟の建物に閉じ込めていた。 それが彼の寿命をわずかばかり延ばすことにもなったし、世界がバグに気づくのが遅れる要因にもなった。
数年経った頃の嵐の日、子供を住まわせている建物が雨漏りがするからと家政婦に言われて、仕方なく自身の執筆部屋からそう遠く離れていない場所で過ごすことを許可した。 元々からして出不精な上に、屋敷を建ててからは仕事以外で外出することのほとんど無くなっていた男は、嵐の中を出歩くはずもなく一日中ずっと部屋に籠り、稀にトイレや気分転換で他の部屋に行く程度しか動かなかった。家政婦やハウスキーパーたちも嵐の中は危ないからと屋敷に残り、優しくもないが怒ることもしない雇い主や対照的にヒステリックな面のある妻に気を遣いながら、料理を作ってみたり嵐が去るのを待っていたりしたのだ。 けたたましく雨粒を叩きつける嵐が去った後、その屋敷にいるほぼすべての生き物が、共食文樹の子供を除いた全員が死んでいたのが発見された。 発見したのは雨上がりに訪れたかかりつけの医者で、奇妙なことに全員が同じ時間に突然心臓が止まったのだという。 その後、共食の親族が遺産目当てに子供を預かり、数日後に子供を除いた一家全員が突然死した。 さらにまた別の親族の中でも謎の突然死は起こり続け、気味が悪いと子供を保護施設に預けたら、施設内の子供全員と大人複数名が突然死する事件が起こった。
共食の子供こそが世界のバグだったのだ。 そのバグは再現性のある死をもたらす世界を壊しかねない存在で、しかもどうあっても消すことのできないものだった。 得体の知れない恐怖を感じた親族が包丁で刺そうとしたが、その瞬間に包丁の刃が柄から外れ、首を絞めようとしたらロープや紐が千切れ、焼き殺そうとしたらライターがつかなくなり、バグを攻撃しようとする全てを世界の法則を捻じ曲げてでも生き残った。 後に爆弾がことごとく不発になる、銃の弾が詰まって発射されない、轢こうとした車が突然おかしな挙動で曲がる、といった不可解な現象も起こるのだが、とにかくバグを消すことは出来なかった。 バグの具現化した姿である子供は無数の幽霊に憑りつかれていて、殺した人数だけ幽霊を先頭から順番に成仏させて、代わりに同じ数だけ幽霊が後尾に並んでいく【七人ミサキシステム】という仕組みが働いているが、それが共食の故郷に伝わる同じ名の集団亡霊と関係あるのかは、世界そのものもわからない。
そして世界はバグに対して最悪の一手を取った。 消せないならば見せなければいい、世界に生きる他の人間たちが気づかないように隠してしまうことにしたのだ。 子供はある日を境に、一切の映像機器を拒絶するかのように黒い靄のような姿で映ったり、撮ろうとした途端に故障したり、録画したはずのデータが再生できなかったり、また音声も保存することが出来ず、その存在を隠されたかのように記録されなくなった。 肉眼でならば見ることはできるが、存在感とでもいうべき要素が抜け落ちているのか、目の前にいるはずなのに中々気づいてもらえなかったり、別れて数秒後には記憶から急速に薄れたり、なるべく認識されないように隠されることになったのだ。
しかし見えないからといって無くなったわけではない。 バグは今も世界のどこかで、強烈な死を撒き散らしかねない存在として、世界に隠され続けているのだ。 ちなみに死をもたらす再現性に世界の次に気づいたのは、共食の親類縁者の中でも最も変わり者だった実弟で、再現性のための細かい条件を導き出した後に、まったく関係ない不摂生と不養生のために死んだが、それは敢えて語るまでもない些事だ。
≪彼の遺した再現死の条件は以下の通り≫ ・子供を中心に半径30メートル以内で24時間離れず過ごした者が死ぬ ・24時間は累積時間ではなく連続した時間である ・30メートルの範囲は横方向だけでなく縦方向にも及ぶ ・30メートルの中に体の一部分でも入っていたら死ぬ ・それは指などの切り離された部位でも有効である ・抜けた髪や剥がれた角質などの体が捨てたとみなすものは例外 ・死の効果範囲は子供が移動するのに合わせて移動する ・死ぬ人数に理論上の上限はない
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