仕事というものは、あったらあったで面倒で厄介だけど、無くなるとそれはそれで困る。 殺し屋、特に私のような反則スレスレな奴には世の中の景気はあまり関係ないと思ってたけど、急に仕事が無くなった時はさすがに笑ってしまう。面白くて笑うのではない、笑うくらいしか反応しようがないから笑うのだ。 「……ははっ」 空っぽになった百々山君の事務所を見渡して、渇いた笑い声を上げる。 デブの情報屋の百々山君は、殺し屋に依頼を渡す仲介業も営んでいたのだけれど、先月から一切連絡が取れなくなって、仕方なく様子を見にきたらこれだ。事務所はもぬけの殻、というには乱雑に散らかっていて、彼が使っていたパソコンはご丁寧に側面から何箇所もドリルで貫かれ、元々さして置いてなかった現金は床に散らばった小銭を残して一切合切が消えていた。 強盗にでも入られたのか、それとも同業者に目障りと思われたのか、何者かの恨みを買ったのか、そんなものは私には知る由もないし、おそらく百々山君本人にしかわからない。 ただ幾つか言えるのは、薄情にもこれといって衝撃も受けてなければ落胆も同情もしてないこと。元々いつ死んでもかしくなさそうな不健康なデブだったので仕方ないよなあとしか思っていないこと。あとは私と連絡を取れるのは百々山君だけだったので、もう仕事を依頼されることはないという現実が降ってきたくらい。 不幸中の幸いは、デブ過ぎる情報屋がいつ死んでもおかしくないと思ってたので、報酬には最低限しか手をつけずに残してあり、贅沢でもしない限り食うに困らない程度の金があることだ。私の不幸ではないけど。
究極的に影の薄い私の体質からいって、まともな仕事にありつくことは不可能だ。接客業なんてその最たる例で、他にも事務仕事、工場、警備、まあ全部無理だし、機械との致命的な相性の悪さという秘匿性からユーチューバーとかコールセンターなんかの仕事も当然出来ない。 最も適した仕事は泥棒だけど、泥棒はさすがに仕事と言い張るには少々図々しすぎるきらいがある。そんな反社会的な仕事をするくらいなら、細々と無職で居続けた方がいい。 父が人格はともかく売上的に偉大な作家だったので、文章のひとつでも書いてみせたらいいのかもしれないけど、私はどうにも文才がない。前に短編小説を書いてみようと思い立ったことがあるけど、1行も書けずに缶ビールのロング缶が空になったことがある。それも6本も。 あとは、それこそ可能性がないけど金持ちとの結婚という選択肢もあるけど、私は自分の不適格性を他人の能力や資産に乗っかって補おうとする浅ましい根性が気に喰わないと思っているので、そんな恥知らずな真似はしたくない。そんな道を模索するくらいなら、堂々と胸を張って無職であるべきだ。 張るほど大したものはないけれど、ここはひとつ、大いに胸を張ってやろうじゃないか。 そういうわけで、殺し屋の頂点【鮫】をも上回る【死神ヨハネ】はこれにて廃業、今日からここにいるのは共食魚という、ひとりの地味で目立たないひっそりと生きる25歳の無職の女なのだ。
ちなみに界隈は急速に店仕舞いの傾向にあるらしく、情報屋の百々山君だけでなく、老舗の武器屋や偽造屋、運び屋、葬儀屋、その他様々な地下生活者たちが引退したり高飛びしたり、行方不明になったりしているそうで、どのみちさして景気も良くなかった殺し屋たちはそういう潮目もあって一気に姿を消した。個々の能力が飛びぬけている鮫といえど、所詮は海の中でしか生きられない。潮目が悪くなれば陸に上がって暮らすしかないのだ。 でもまあ、鮫は殺しの能力に長けている分、生き残る能力にも長けているので、きっと生き意地汚くどうにかしているだろう。中東辺りで傭兵になったり、南米あたりでマフィアになったり、アフリカあたりで海賊になったり、あるいは日本でヤクザになったり、そういう姿は容易に想像できる。特に多少なりとも交流のある鮫の面々は、といってもジンベエ君とイタチちゃん他数名くらいだけど、きっとクレイジーなジャパニーズモンスターとして悪名を轟かせるに違いない。 何処にも行けないのは私だけだ。
『死神ヨハネって知ってる? どんな相手でも殺してくれるんだって』 『願いごとを送ったら天使を派遣してくれるらしいよ』 『返事もらった人もいるんだって』 『あいつ死んだじゃん、ヨハネが消してくれたって聞いたよ』
百々山君が姿を消したのと同じくして、SNS上では死神ヨハネの噂が急速に拡がり、いつしか実態と程遠い都市伝説が独り歩きし始めた。噂の中でのヨハネはどんな相手でも殺してくれる殺し屋で、死神の手足となって死へと導くケトスと呼ばれる天使たちを引き連れているという。 願いを叶えてもらったって証言の99%は、近年のSNSにはびこる陰謀論者やインプレッション稼ぎの業者の類が捏造した嘘なんだけど、ごく稀に1%ほど信憑性のある話も流れてくる。ニュースで流れてくる情報と推測される死因や原因が、証言と異常なまでに一致するのだ。 しかもここ数日で死神ヨハネの噂は一気に現実味を帯びてきた。フェイク動画も含めた数秒から数分のスナッフフィルムが泡のように湧いては消えて、その中にヨハネであろうと思われる人物が映っているのだとか。 「いや、私は映像には映らないんだけど……」 私が映像に映らないのは今さら説明するまでもなく、撮ろうとしても一切の映像機器を拒絶するかのように黒い靄のような姿で映ったり、カメラを向けた途端に故障したり、録画したはずのデータが再生できなかったりするわけなので、当然そのヨハネは私のことではないのだけど、噂の方のヨハネは元々イメージされていたキリスト教の聖人みたいなイタリアン髭モジャ男っぽさがあるので、むしろこいつの方が本物なんじゃないかと思わせる説得力がある。 確かに黒髪で小柄で地味なそこら辺に歩いてそうな風貌の女と、長髪でしっかりとした髭の生えた目つきのヤバい外国人だと、どっちがヨハネだクイズをした時に逆張り主義者以外は全員ヤバい外国人を選ぶ。私だってそうする、我ながらヨハネっぽくなさがすごいから。 おまけに天使たちとされる連中が、丁寧に剃った坊主頭で髭どころか眉毛すらなく、しかも全身に拘束衣のような服を着ているせいで、さらに暴力的に説得力を高めるのだ。庇を貸して母屋を取られるとは、まさにこういうことだと思う。貸した覚えはないけど。 「やれやれ、私が最近仕事しないからって、どこのどいつだか知らないけど……」 名前に誇りを感じたことはないものの、内心面白くないので毒づきながらビールを飲んだりしていると、都市伝説は更なる暴走を始めてしまった。
『見た? 死神ヨハネの生配信』 『あれって本物なの?』 『本物でしょ。イメージ通りの人だったよ』 『配信で名前出た奴、次の日に死んだってニュースに出てたよ』
生配信の動画は数時間後には削除されたけど、世の中に流しても許されそうな部分は切り抜かれて、あっちこっちにアップロードされた。 そこに映っている男は、見た感じ50代半ばに達してそうな、髪を長く伸ばして口元にしっかりと髭を生やした宗教家めいた風貌の持ち主で、体の各部に聖書の言葉を引用して彫っていた。 『Ask, and you will receive, that your joy may be full(求めよ、さらば与えられん)』とか『You shall love your neighbor as yourself(汝の隣人を愛せよ)』とか、そういう有名な言葉から信心深い人だけがわかるものまで色々と。 ますます私に偽物感が漂ってきたな、とか考えながら動画を見ていると、新しくタイムライン上を流れてきた映像の中で、本物っぽい方のヨハネがこう呟いた。 「諸君、私はこれから死を撒き散らす。君たちの頭上を膨大な量の死で埋め尽くす。魔王の腹すらも満たし尽くす数の死者の魂を、神へと奉げるのだ」 仰々しい台詞を吐いて、キャラ作りすごいなと感心する。 でもそういう物騒なのは、どこか遠くでやってくれないか、とも言いたい。私は死神ヨハネなんて呼ばれてたけど、別に人が死んだり殺したりされるのが好きなわけではない。猫とか犬とかのモフモフした生き物と、キンキンに冷えたビールが好きな、ゆるふわ女子みたいな者なのだ。
スマホの画面を消して、冷蔵庫の中の缶ビールに手を伸ばした瞬間、外で映画でしか聞いたことのない轟音が響いた。 何事だろうとSNSで爆発とか火事とかで検索を掛けると、拘束衣のスキンヘッドの男が雑踏の中で爆発する映像が見つかった。見覚えのある場所で、すぐにうちの近所、この部屋から300メートルくらいの地点だとすぐに気づいた。 なんて傍迷惑な連中だ。これだからカルト野郎共は嫌いなんだ。 この日、更に地下鉄の駅やショッピングモールも含めた数ヶ所で爆発や放火、大型トラックの衝突などが起きて、今まで半ば面白がって囃し立ててた連中も手首の関節が捩じ切れるくらい掌を返すほど、死神ヨハネの悪名は轟き、同時に最悪のテロリストとして地の底へと落ちた。
『最悪。誰だよ、あんなの褒め称えたの。責任取れよ』 『なにが死神だよ、クソテロリストが』 『ファッキン■■■■!』
人間の掌返しというのはすごいもので、よくもまあこんなに掌がくるくると回るものだなって、妙に関心してしまう。ビート板とか持ってたらそのまま空を飛べるんじゃないかな。 なんて面白くもない感想を抱えながら、床にぐでんと寝転がる。 それにしてもあの偽ヨハネ、人の名を騙ってとんでもないことをしてくれたものだ。いったい何人の死者が出たのやら、もしかしたら100人では利かないかもしれない。なんて連中だ、本物のヨハネだってそんな人数……。 ふと自分の受けた依頼の数と、仕方なく巻き込んだ人数も含めて大雑把に計算する。最初は指を折って、すぐに指では足りなくなって頭の中で数字を晩酌の時の柿の種のように積み重ねて、途中で面倒になって一気にざーっと大皿に流し込んで、 「仮に100人として、私の20分の1以下か」 所詮偽物だなって鼻で笑い、すぐに自分の罪深さとか業の深さに呆れ返る。 そのままナメクジか尺取虫みたいに床を這って冷蔵庫まで体を伸ばし、缶ビールとチーズを手に立ち上がったのだ。